川底に沈んでいた丸太 ![]() |
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平住橋撤去工事の際に 川底から見つかった丸太です。 その昔、大横川や横十間川では材木が浮かび、 現在は民族芸能として「角乗」などが残っています。 |
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井住橋跡地 ![]() |
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元々太鼓橋(勾配が急な橋)だったのを 平成15年から17年にかけて改修されたので その跡地として残っています。 |
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洲崎橋跡地:洲崎川緑道公園内 | ![]() |
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むかし川があった所を埋め立てて 今はその場所に緑道公園があります。 橋もその役目を終えてここには有りませんが 跡地としての碑だけが建っています。 |
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産業遺構モニュメント:豊洲公園内 | ![]() |
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昭和初期、この地には造船所がありました。 地域の歴史を未来に受け継ぐため 造船工場で使用していたものをモニュメントとして 設置されています。 |
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刀工 左行秀作刀旧跡 | ![]() |
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幕末の著名な刀工であった左行秀は 当時この付近にあった土佐藩下屋敷に滞在し、 鍛錬場を築いて刀剣を製造しました。 |
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貨物線の車輪跡 | ![]() |
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昭和4年開業〜平成12年閉鎖の 水陸連絡貨物専用駅の小名木川駅で 使用されていた貨物車の実際の車輪です。 現在、跡地にはショッピングセンターが営業中です。 |
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平賀源内電気実験の地 | ![]() |
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その名の通り、平賀源内がこの地(清澄1丁目)の 私宅でエレキテルの実験をしたという碑です。 隅田川に掛かる清洲橋の近くにあります。 |
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尾高水門の部品 | ![]() |
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砂町地区の水害を守るために造られた マイターゲート式の尾高水門の 心臓部に当たるものです。 横には石版に刻まれた全体図が描かれています。 |
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親子地蔵尊:東陽町駅下車 | ![]() |
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昭和20年3月10日の下町地区の大空襲で 殉難死した人達の供養のため 昭和23年の3年忌法要を記念し、建立されました。 |
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千石地蔵尊:木場公園近く | ![]() |
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上の地蔵尊と同じく、大空襲により亡くなった 死者を悼み、供養のため祀られました。 祀られたのは昭和20年5月頃のようです。 |
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洲崎球場跡 | ![]() |
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建設から完成までの期間が3ヶ月で 昭和13年には閉鎖となりました。(稼動期間3年) 昭和11年2月に日本に6番目に結成された 「大東京軍(プロ野球チーム)」の本拠地でした。 |
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旧千葉街道碑 | ![]() |
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「千葉街道」とは、その昔に墨田区から 堅川に沿って千葉方面へ通じる道(陸路)でした。 今はその碑だけが建っています。 |
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トーテムポール:新木場駅前 | ![]() |
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1984年にカナダ(ブリティッシュコロンビア州)から 江東区へ寄贈されたものです。 すぐ脇には「木のまち新木場」という看板も。 |
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巨大のこぎり | ![]() |
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東京ビックサイト(国際展示場)の入り口にあり、 高さは約15mです。 アメリカのポップアート作家が作成しました。 |
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小名木川旧護岸 | ![]() |
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今は石積み風護岸の整備が進められていますが 以前は水害から護るため、度重なるかさ上げの 護岸が川に沿ってありました。 その頃のものがここにあります。 |
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釜屋の渡し跡:北砂緑道公園内 | ![]() |
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その昔に小名木川を往復していた渡しの跡で 地名の由来は釜屋の鋳造所があった為です。 |
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亀戸大根の碑 | ![]() |
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亀戸香取神社の敷地中にあります。 江戸末期に栽培が始まった亀戸大根の発祥を 記念した碑で、平成11年に建てられました。 |
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長州藩大砲鋳造場跡(南砂緑道公園内) | ![]() |
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この大砲はレプリカです。 「長州藩」という名のとおり、昔この近くには 長州藩主松平大膳大夫の屋敷がありました。 |
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都電車輪跡(南砂緑道公園内) | ![]() |
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この公園には昭和2年〜昭和47年まで 都電(城東電車)が走っていました。 この車輪は昭和28年に製造され、 実際に使用していたものです。 |
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伊能忠敬銅像 | ![]() |
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平成13年に富岡八幡宮の境内に建てられました。 測量出発の時、ここを参拝していたことから 縁の地としてこの場所にあります。 |
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亀戸銭座跡 | ![]() |
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亀戸銭座で造られた寛永通宝をモデルに、 平成6年に設置されました。 2丁目の公団団地建設の際には 多くの寛永通宝が発見されたとの事です。 |
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波除碑・津波警告の碑 | ![]() |
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波除碑の建設は1794年頃、当初130cmあった高さも 現在は上部3分の2を失っています。 この碑の破損が激しいため、新たに津波警告の碑が 立てられました。 |
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五百羅漢道標 | ![]() |
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小名木川橋にある、高さ120cmの碑です。 大島にあった羅漢寺への道標として 享保2年・寛政9年・文化2年の3回にわたって 再建されました。(造立年代は不明) |
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横綱力士碑 | ![]() |
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富岡八幡宮から少し離れた所の境内にあります。 明治33年に完成したこの碑は、重さ20トンの 白御影石を使用しています(この石の厚さは1m)。 |
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