江東区の始まり。

大空襲によって焼け野原となった東京の廃置分合のため、「深川区」と「城東区」が統合して
江東区となりました。
区名は、他にも「永代区」「辰巳区」「清澄区」などの候補もあったらしいのですが、
墨江(隅田川)の東という意味、もしくは「深川(=江)」+「城東(=東)」=江東区という意味が
あって、「江東区」という理由がしっくりくるそうです。

ただし・・・それよりはるか昔、明治31年にはすでに「江東橋」という端が大横川にありました。

江東区の現在。

平成16年現在の町名数は45、友好都市はカナダのサレー市、図書館は11館で、
資料館や公園・仏閣と幅広い上に、最近はお台場に代表されるベイエリア開発が特徴です。

また、近頃はマンションの建設ラッシュによる人口増加も著しい地域となっています。

東陽の歴史・由来。

明治11年には、今の東陽の地区は「深川区」に含まれていました。
その後昭和22年には江東区の「深川東陽町」となります。

東陽3〜5丁目の部分は、開発者が新田さんだったので「新田」と呼ばれていました。
明治維新後は、この土地では米・大麦・茄子・ネギを栽培していたようです。
この頃の住人は70人前後でした。
東陽6・7丁目は、元禄の頃までは海だった場所を江戸のゴミを埋め立てて作られた土地です。
(地中深く穴を掘ると、江戸時代のゴミがでてくるのでしょうか?)

町名の由来は、明治33年に創立された東陽小学校からのもの。
現在江東区役所は東陽4丁目にあり、まさに江東区の中心地となっています。